WEB短編小説『上司はつらいよ』【無料】
今日は給料日。
コーヒー豆の香ばしい匂いが漂う店内では、社員やアルバイトスタッフたちが慌ただしく動いていた。
そんな中、部下の田中が店長の前沢に礼を言いに来た。
――ここ最近、田中はツイッターを活用してこの店の宣伝をしている。
店の宣伝担当になってからは、ちょっとした有名人だ。気の利いたツイートが人気を呼んでいた。
カフェを展開する上では、お客さんとの良好なリレーションの構築は非常に大切。
この店では、お客さんとのリレーション構築にツイッターを活用している。
ツイッターで店の宣伝を担当することになった田中には、今月から「ツイッター手当」とでもいうべき特別手当が支給されている。
もちろんだが、田中の給与は特別手当の分だけ増えている。
――ツイッターで気の利いたことをつぶやくのが得意な田中は、給与が増えたお礼を言うことも忘れない。
「ご期待に添えるよう、より一層精進します」
田中の前任は山下だ。
前任の山下はツイッターで炎上騒動を起こしていた。
――そのため山下は、本部の決定で、店の宣伝担当から外されていた。
実は前沢は、山下が引き起こした炎上騒動のせいで、本部から減俸処分を言い渡されていた。
――管理職のつらいところだ。
――担当から外された山下が前沢のもとにやってきた。
あろうことか、山下は給与を減らされたことに対する文句を言い始めた。
「到底納得いくものではありません……」
――自業自得で宣伝担当から外された山下。
その山下が被害者面をして文句を言っている状況に、前沢は辟易した。
ただし前沢には、頭ごなしに山下の言い分を否定してパワハラ云々と騒がれても面倒だという判断があった。
そのため前沢は山下の文句に耳を傾けていたが、途中から山下の発言に「別の違和感」を覚えていた。
「どうして事前に何もなかったのですか? 私は何も聞いてませんよ……」
その違和感は山下が宣伝担当を外されたことを――記憶喪失でもないのに――今日になってはじめて知らされたかのような言い方をしている点にある。
山下がツイッターを炎上させて大騒ぎになった時は、前沢は事態の収拾を図るため、山下に事情聴取をした。
そして本部の決定で山下が宣伝担当から外されることが決定した際も、前沢は山下本人と、顔を合わせてキチンと伝えている。
それなのに、なぜ今頃になって山下はこういう態度なのか……。
「覚えていないはずはないだろ」
「いえ……、何も聞いてません……」
――どうも山下の様子がおかしい。前沢は疑問を抱きはじめた。

だがその疑問は、思ったよりも早く解消された。
ほどなくして、――前沢の目に信じられない光景が飛び込んだからだ。
「おはようございまーす」
店の中に、山下がもう一人入ってきたのだ。
そう、山下がもう一人だ!
これには前沢はもちろん、田中やそれ以外の社員、アルバイトスタッフたちたちも驚きを隠せないでいる。
何が起きたのか一瞬分からなかったが、――次の瞬間、前沢は何が起きているのか把握した。
山下は言った。
「孝二、ダメだろお前」
もう一人の山下は言った。
「ごめん、スケジュール間違えちゃったね、兄さん」
そう、山下は双子だったのだ。もう一人の山下は、山下の双子の弟だったのだ。
山下は双子の弟に替え玉を頼んでいたのだ。
――ツイッターで炎上騒動を起こしたのは替え玉をしていた双子の弟であり、この弟は自分が巻き起こした騒動を兄に伝えていなかったのだ。
双子の弟は、ばつの悪そうな表情をするばかり。
山下本人は、その場に居合わせた全員の視線を浴びながら、その場に立ち尽くしていた――。